こんにちは。
僕は今年で小学校のPTA会長が
3期目になるのですが、
毎年この時期になると
PTA新聞のようなものへの
執筆依頼がきます。
年3回ほど、そのPTA新聞が
発行されるので、
今回で7回目の執筆となるのですが
今、全然書けずに大変困っています。
これまでも毎回、
「何書こうかなぁ?」
と悩むことはあったのですが、
今回はそもそも書くことへの
意欲があまり湧いてこない。
これはなんでだろうと
考えていたら、
ひとつの答えに辿り着きました。
それが、
『ゼロからプラスへの文章を
書いたことがない』
というもの。
ちょっと意味が分かんないと
思うので少し説明すると、
僕はこれまで
マイナスからゼロへの文章ばかり
書いてきてたんですね。
いや、まだ意味分かんないですよね。笑
つまり、
自分の色んな苦しみや痛み(マイナス)を
癒す(ゼロ)ために文章を書いていたと。
例えば、僕が書いていた文章には
息子への思いがずっと込められていました。
色んな苦しみや痛みや悲しみが
ありましたが、
それがあったからこそ、
表現が出来ていたとも
言えるのですよね。
PTA新聞ひとつ取っても
その思いは込められていて、
子どもを一人の人間として
尊重することや、
本当の自立とは何か?
といったことは、
やはり息子と過ごした経験が
大きく影響していました。
でも、息子が亡くなってから
約1年半が過ぎ、
ある意味悲しい慣れではありますが
生活は段々と安定してきました。
今回のPTA新聞の原稿を
考えている時に、
「あぁ、僕はもう病気や障がいがある
子どもの家族という当事者では
なくなってしまったのだな」
と思ってしまったのです。
これは大変にショックでした。
僕はこれから、
病気や障がいを持った子の
助けになるような生き方を
したいと思っているのに、
僕は今、その世界の住人では
なくなってしまっているのです。
さて、こういう時って
どうしたらいいんでしょうかね?
正直、未知の世界です。
ひとつヒントになるかもなと
思って開いた一冊の本があるのですが、
その本にはこんなことが
書かれていました。
シェルターや自己治癒の物語(マイナス)と、穏やかな日常でゼロベースから始まる創作とでは素材が異なります。
(中略)
喜びや希望や、自分が「感じたい」と思って感じたことが素材になります。
自分の意志が反映されていくのです。
(「繊細さん」の幸せリスト 武田友紀 著)
※上部(マイナス)の言葉はブログ執筆者注釈
つまり、
マイナスからゼロへの表現は、
自分で望んだわけではなく
やむにやまれず行われるもので、
ゼロからプラスへの表現は、
自分の意思を持って
穏やかな気持ちの中で
行われるものということですね。
そうか。
そうかぁ。
そうであれば僕は、
息子や娘や妻と過ごしていて
楽しかったことや
幸せだったことから、
表現が出来るといいなぁ。
些細な幸せでよいのだな。
となると僕は、
病気や障がいを持った子や
その家族に、
世界に溢れるささやかな喜びを
伝えられればいいのかもしれないね。
どちらにせよ、
僕は自分にとって新しい表現を
見つける必要があるのだと思います。
楽しんでチャレンジしていこう。
では。