こんにちは。
SNSなんかを見てると
時々見かける投稿に、
「生きる意味なんてない」
「生きる意味を考えても
辛くなるだけだから、
楽しく生きればいい」
といったものがあります。
まあ、そういう考え方を
別に否定はしませんが、
僕は結構淋しくなったり
悲しくなったりします。
それは僕が、
「生きる意味はある」
「生きる意味を求めることは
人生にとって大事なことだ」
と考えているからですね。
例えば、
息子が先天性心疾患をもって
生まれてきた時、
知り合いの多くからもらった
慰めの言葉に、
「試練は耐えられる人にしか
与えられないよ。
あなたは耐えられるだけの
強さがあるんだよ」
というものがありました。
当時は、
「どんなクズでダメな奴でもいいから
試練なんて与えて欲しくなかった」
なんて思ったりもしましたが、
思えばこれも人生の意味を考える
キッカケとなり、
僕を支えてくれたことは確かでした。
まあ、どちらかというと、
「俺は試練を与えられるような
選ばれた人間なんだ!」
ぐらいのちょっと傲慢な気概が
なければ、
当時は耐えられなかった
という方が正しいかもしれませんね。
自分が重い病気になったり
大切な人が苦しい目に
あったりすると、
「なぜ、自分がこんな目に
合わないといけないんだ?」
「なぜ、今このタイミングなんだ?」
「なぜ、自分ではなく大切な人を
苦しめるのだ?」
など、
なぜ、なぜ、なぜ?
という理由を求めたくなります。
そして散々苦しんで悩み続けた先に、
「私がこの問題を抱えないといけない
理由が確かにあるのだ」
「これは人生から生き方を
問われているのだ」
といった自分を納得させる
それこそ『意味』が、
自分を支える原動力になります。
また、
残念ながらと言いますか、
一度人生の意味を問い始めてしまうと
問わなかった頃の自分に戻ることは
まず出来ないと思います。
生きる意味なんて考えず
楽しく生きられたら、
そりゃあ良いでしょうよ。
でも、
生きる意味を問わずに
いくら楽しそうなことを
やったところで、
僕には虚しさを拭うことが
出来ませんでした。
だからこそ今思うのが、
もう、真正面から向き合うしか
残された道はないということ。
いや、ちょっと違うか。
道はないので自分で
道をつくるしかないですね。
真正面から人生と向き合い
自ら道をつくって歩んでいく。
まあ、めちゃくちゃ孤独ですよ。
でもね、僕は知ってます。
人生と対峙して生きる意味を問い
孤独と向き合った人が、
歴史上でもたくさんいます。
夏目漱石もそう。
ニーチェもそう。
茨木のり子もそう。
岡本太郎もそう。
そして及ばずながら僕も
孤独と闘おうと生きています。
大丈夫です。
あなたは一人ではありません。
誰に向かって書いてるのか
僕自身もよく分かってませんが、笑
巡り巡って誰かの心に
届いてくれたら嬉しいなぁ。
僕は生きる意味はあると
胸を張って生きます。
では。